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2007年9月

2007年9月16日 (日)

今度はこれか

家の周り監視がいなくなったと書きましたが、これは僕への全ての監視がなくなったわけではありません。自分のパソコンが壊れたので先日8日に隣の上尾市の中古パソコンの店に自転車で行ったときに上尾市に入ったとたんまず消防車と遭遇しました。その消防車はわき道に止まっていましたが、消防隊員が僕が走っている歩道に2、3人いて僕が通り過ぎたら消防車のほうへ帰っていく足音が聞こえました。そこには消化線やマンホールなどは見当たりませんでした。その直後今度はワゴンタイプのパトカーが真横を通過していきました。そして帰るときにもほぼ同じ位置でこんどはセダンタイプのパトカーが通過していきました。 それと自衛隊機も今日はまだ飛んでいませんが、昨日まで家の上空を通過していました。結局桶川以外ではまだ監視は続けるし自衛隊の脅迫も続くのでしょう。僕のことやこのブログの存在を知っている人がいない地域では監視し続けるのでしょう。そうやって警察内部に疑いが湧かないにするのでしょう。

それと話は変わります。北のアナウンサーが拉致された日本人の矢倉富康さんであることが濃厚とされていました。しかしあるテレビ局がそのアナウンサーの声紋鑑定したところ別人の可能性が高いとあっさりと否定しいたことがあったのです。(まあ以前だったらこんなことは無かったと思いますが) しかし昨日警察が写真が合成されている可能性があり別人である可能性があるとしたそうです。写真には3月15日の日付が入っていたそうです。

ぼくがこのブログを書き始めたのが3月22日です。(以前にも書きましたがこのブログと同じ内容のブログをいくつか出していてこのココログは後から追加したブログなので4月2日が最初の記事になります)

わずか1週間前の日付です。警察は北が意図的にこの写真を日本に渡した疑いがあるともしたそうです。もしかして今度はこれでこのブログの対策をするつもりでしょうか。 都合がよすぎます。マスコミに否定されたら今度はそれが何らかの企みとする。そしてこういう時にいつも登場する言葉が「公安当局の調べによると」と「関係者によると」です。この言葉を使えば警察内部で話をどうとでも出来てしまいます。 そのいい例が渡辺秀子さんの件です。大事なところは全てこの言葉で穴埋めされているのです。

2007年9月15日 (土)

安倍首相辞任と北の放送の関係

安倍首相がとうとう辞任します。
なんで今ごろになって辞めるのでしょうか。
8月6日の2つの記事にも書いたように安倍首相は確実に警察や自衛隊の僕への不当行為に関わっています。
その主犯格といっていいと思います。
その首相が今ごろになって辞任する。
散々自民党員の金銭問題で首相の責任を問われてしかも参院選で敗北までした。
普通の首相ならば党のことなども考えてあの参院選敗北のすぐ後に辞めるはずです。

しかし辞めなかったのではなく辞められなかったのだと思います。

僕のことがあったからです。
僕を北のスパイとして仕立て上げ続けて、散々汚いことをやってきてしまったので、その責任から逃れるにはそれを正当化できるような状況にしてからでないと辞められなかったのです。

それが昨日も書いた先日の北のスパイ逮捕報道です。
あれによって北が僕をスパイと認めたことにして、僕を完全にスパイに仕立て上げることにとうとう成功したのです。
そしてその直後10日のオーストラリアでの突然「職を賭して」と発言をしたのです。
さらに12日に辞任を表明した。これも「職を賭して」発言からあまりにも期間が短くて不自然ですが、結局スパイ報道を成功さえさせれば辞めるのはいつでもよかったということです。
しかし体調不良で辞めたというのも本当だと思います。
これだけのことをやってきたのですから精神的なストレスは相当なものだったのではないでしょうか。


参院選の直後の時点ではまだ僕をスパイに仕立て上げられていなかった。
他の国と取引をして隠密に人を犯罪者に仕立て上げるには、首相という役職を降りてしまった後では出来ない大きなことです。
あちこちに命令してうまくことを運ぶには首相という役職である必要があったのです。
だからあの敗北の時点では辞められなかったのです。
だから首相という役職にしがみついていたのです。
恐らく警察や防衛省からも何らかのプレッシャーもあったと思います。
あの石破、中谷元防衛庁長官の安倍首相退陣にやたらと積極的だったのも早く何とかしてあいつをスパイに仕立て上げろというプレッシャーだったのではないでしょうか。

それと首相のあの目の周りが腫れて疲れたような表情は、人間がまずいことをやってそれを隠している時の表情ではないでしょうか。
僕自身は警察のでっち上げや自衛隊の脅迫行為を隠していてその精神的ストレスから出てきたものだと思っています。
あの表情は多分官房長官時代に警察と関係していた頃に始まったのではないでしょうか。

2007年9月14日 (金)

北のスパイ逮捕の放送はでっち上げ

前回の続きになります。

話が複雑で自分の頭の中ではわかっているのですが文章にするのが難しいのです。
わかりづらいかと思いますが僕が書きたいことのニュアンスはなんとなく伝わると思います。

先日5日と6日に米朝と日朝の作業部会がありました。

それと5日はもう一つ大きなことがあったことを知っているでしょうか。
北朝鮮のテレビで、わざと国籍を明かさずに外国人のスパイが北の軍事施設を撮影していたり、北の人間を本国へ連れて行こうとしていたと報じたそうです。
そしてその撮影機材をアップで写しましたが、日本のメーカーのロゴが大きく写っていました。

米朝、日朝作業部会の最中に国籍をわざと明かさずスパイが逮捕されたと報道するなんて、これはスパイが日本人かアメリカ人どちらかだと言っているようなものです。
この放送を日本で放送したテレビでも解説者が同じことを言っていました。

それと実は6日から、家の前の車での監視(5月20日の記事を参照してください)が完全にいなくなったのです。
その日は台風が来ていましたが昼過ぎまで大して風も雨もありませんでした。
しかし僕の家や周りの家の人の出入りがあっても車が通過していくことはありませんでした。
それとその前日の5日から6日にかけて、4年ほど前に工事をしていた家の近くの数本の電柱でまたなにやら工事をしていました。

僕はその4年前の工事は監視カメラを取り付ける工事で5日と6日の工事はカメラを取りはずす工事だったと思っています。

なぜそんなことがわかるかというと、家の前の道路とは家の東側にあるのです。そして僕の家の西側にある家で出入りがあるとその道路を必ず車が通過していくのです。しかしその道路からは西側にある家は完全に見えないのです。
つまり工事を行った電柱にカメラでも仕掛けない限りその家の出入りがわからないのです。
車がいなくなった日と電柱の工事の日が重なったことを考えるとあれが監視カメラの工事だったと考えてもおかしくないと思います。

つまりこれらはどういうことかというと、僕の家の周りの監視を完全に止めたということです。

この監視行為は元々警察自身がストーリーを造ってスパイ事件に仕立て上げてはじめたのですから、はじめから無理があったわけです。
その上7月1日の記事でも書きましたが、このブログをホンダエアポートの人も見ています。
つまり地元の人が全ての事実を知ってしまったということです。
それ以来警察は桶川で僕に対する監視活動がまともに出来なくなっているはずです。

警察は追い込まれていて出来る事なら一刻も早く桶川から撤退したかったはずです。

そして実際に6日に完全に撤退した。

その撤退を開始した日と、北でスパイが捕まったと報道された日が同じ日です。
日本で6年もスパイ扱いされている人間の監視の終わりと、北で日本のスパイが捕まった日が同じ日というなは僕には偶然とは思えません。
どちらもスパイということでつながります。

僕はこれをこういうことだと思っています。

警察は今更ただで撤退したら僕への今までの行為がただの犯罪行為になってしまう。
そして地元の人や警察内部からも今までのことを告発される恐れがあるわけです。
そこで告発などをされないために撤退する前に僕を完全にスパイということにするための理由が必要になるわけです。
ぼくがスパイということになれば今まで僕にやってきたでっち上げや脅迫などの不当行為は恐らく全て許されてしまうでしょうから。

そこでこの北のスパイ報道がかかわってくると思っています。

これは僕をスパイに完全に仕立て上げるために日本とアメリカと北朝鮮との取引ででっち上げられた事件だと思います。

前回の記事で書きましたが、アメリカはイラク戦争協力の見返りに日本の嘘に騙されて北に制裁(バンコデルタ銀行凍結)を加えました。しかし後で嘘がわかって制裁を慌てて取り消した。

しかしアメリカは制裁を取り消すだけでは済まないのです。
それ以前にイラク戦争の引き金になった大量破壊兵器の情報が嘘だったという大失態をおかしているからです。
この時点で政府は大打撃を受けたのに今度は北への本当の制裁理由までもが嘘だとばれたらとんでもないことになるからです。

ここでアメリカもなんとしてでも僕が北のスパイでないとならない状況に追い込まれたのです。
これで立場が日本で僕をスパイに仕立て上げてきた人間たちと同じになったわけです。

そして先日の米朝、日朝作業部会の初日に、僕を北のスパイに仕立て上げる行為が行われたのです。

これはこういうことです。

日米でなんらかの見返りをするから北はテレビで日本かアメリカのスパイが捕まったような放送をしてくれ。

そして作業部会で

{ 「我々は北朝鮮国内でどちらかの国のスパイを捕まえた。だからどちらの国も自国にいる北のスパイに対する捜査を止めろ。止めなければ北で逮捕したスパイの国籍をばらすぞ。」

というようなことを言った事にしてくれ。 }

という取引を北としたのではないでしょうか。

こうすれば警察は警察が今まで僕をスパイだと信じ込ませてきた人間たちや、逆に警察に不信を抱いている人に「あの北の放送をみましたか。実は本当に日本のスパイが北へ潜入していたんですよ」とはっきりと告げるか、あるいはほのめかしたりして、「だから警察は僕への捜査を止めざるをえなくなり、やむなく桶川から撤退したんだ。」
というストーリーを造れるのです。

こうすれば僕がスパイである証拠が何一つなくても、事件として立件しなくても、僕を逮捕しなくてもスパイに仕立て上げることが出来るのです。
なにしろ北自身が僕をスパイだと認めることになるのですから。

しかも日本人のスパイがいたとなればそれを表に出すことはタブーということになるわけですから、その話を聞かされたほうも表には出せず、隠密のまま僕がスパイであることを信じ込ませることが出来るのです。

そして一般の人からはあの放送を見ても表向きは日本かアメリカどちらのスパイかはわからないのです。

あまりにも日本とアメリカにとってうまく出来すぎた話です。

どうですかこれでうまく撤退する理由が出来たと思いませんか。

日本で僕をスパイと仕立て上げてきた人間が追い込まれているときにその人間たちにとってこんなに都合のいい撤退理由がこんなにいいタイミングで出てくるなんて。
確実に北と取引をしてでっち上げさせた事件です。

ここまで書いてしまうと呼んでいる人にとっては逆に嘘っぽく見えるかもしれませんが、普通の人ではあり得ないような僕が今まで受けてきたことを考えればこういうことがあってもおかしくは無いと思います。

ここでその見返りについてですが、僕が見返りとして思いつくのは拉致事件です。
これから頻繁に作業部会を開くような約束をしたようですが、恐らく形だけの作業部会になるのではないでしょうか。
日本は表向き北へ厳しく出ているように見せて、実際には中身の無い会談を行うということが考えられます。

日朝作業部会を終えた時の北の大使の上機嫌振りをみると、確実に北に有利な取引があったはずです。

これが今回の北のスパイ報道の真相だと思っています。

さらにこの記事の続きがあります。
また書きます。

2007年9月13日 (木)

アメリカも騙された

自分のパソコンが故障してしまい更新できませんでした。
兄のを勝手に借りて更新しています。



今年に入ってアメリカが急に北朝鮮のテロ指定国家解除の話が出てきました。
これは僕を北のスパイ扱いしてきた人間たちの動きと連動していると思います。

8月29日の記事で2006年の11月29日の家宅捜索以降、北に関する目立った家宅捜索がほとんど無くなって、自衛隊の脅迫行為も、北関係で何らかの動きがある日には必ず飛んできていたのが、動きのある日には飛んでこなくなったと書きましたが、その後にアメリカのテロ国家指定解除の話が出はじめたのです。

世間では北へ制裁理由は紙幣偽造に対する制裁とされていますが、結局その偽造に関して何の進展もありません。
アメリカが北に対してここ数年強硬姿勢をとるようになったのは日本がイラク戦争で協力している見返りに北に対する制裁をしていたのではないでしょうか。
制裁に踏み切ったのは日本から「今、日本に北のスパイがいて、自分がいた工場で事故を起こしたりミサイルの情報を盗んでいた恐れがある」と聞かされていたからなのではないでしょうか。

しかしいくら捜査してもなにも出てこないことを聞かされたアメリカが急に今年に入って慌てて指定解除の動きを見せ始めたのではないかと思います。

ヒル国務次官補が今年の最初の6カ国協議の前に日本を訪れた際に自民党本部を訪れました。
マスコミがあの時期に一つの党の本部を訪ねるというのは異例なことだと伝えていましたが、それは僕が本当に北のスパイではないことの真相やそれに対する今後のことを確認しに行ったのではないでしょうか。

そしてそこでスパイではないことを確認して、その後バンコデルタ銀行の北の口座の凍結解除を行ったということなのではないでしょうか。

去年はブッシュ大統領が拉致をテロ指定国家の条件の一つとして拉致家族会の人たちと面会したばかりです。

それが一年もしないうちにテロ指定を解除しようとする動きが出ました。

実際には指定を解除していませんし、アメリカはそれを認めていませんが、明らかに北に対して去年とは全く違う動きをしています。
核の脅威や国内の政治的背景があるようなことを言っていますがそれは違うと思います。

僕自身は完全にこの説が真実だと思っています。


実はこの話には続きがありますが長くなるのでまた後で書きます。

2007年9月 2日 (日)

久喜市について

昨日の記事で久喜市の柴山沼へ行ってパトカーに3回遭遇したと書きましたが、今朝の朝刊に、昨日の午前中は久喜市で国民保護計画に基づく避難訓練が行われていたそうです。
国民保護計画とはテロやミサイル攻撃などを受けた時を想定して避難場所や避難の法方などについて各市町村レベルで作られる計画です。

昨日の国民保護計画の訓練は埼玉県内では初だそうです。

この国民保護計画について以前調べていた時に、今年の3月の時点での埼玉県の計画作成市町村数が他の都道府県に比べてダントツに多かったのを覚えています。
これも僕が埼玉に居るせいでしょう。

会社で事故を起こし、ミサイル情報を盗んだことにされてテロリストやスパイ扱いされている人間が県内に居るのだからそう考えてもおかしくないでしょう。

というよりこの国民保護計画自体が、僕がいたから作られた計画なのではないかとも思っています。
自衛隊が長年に渡って脅迫行為をするくらいなのだからこれもそう考えてもおかしくはないでしょう。

その人間が県内初の訓練をおこなった日にその市へ行ったのだから僕を工作員の仲間だと信じ込まされている警察官たちは慌てたでしょうね。

もしかしたら僕が挑発でもしに来たと思ったかもしれません。

ちなみに久喜市には監視をされるようになってから何回か行っています。
昨日が初めてではありません。
もちろん昨日久喜市でそんな訓練が行われることなども知りませんでした。

気晴らしや運動不足解消のために他の人が釣りをしているのを見たり沼の周りを散歩するために行きます。
柴山沼の他にも昭和沼や名前のわからない沼などにも行っています。
全部以前に僕が釣りをしていた場所です。

それとネットでどこを調べても昨日の訓練のことが全く載っていませんでした。

2007年9月 1日 (土)

あの似顔絵もでっち上げ

15時過ぎに久喜市にある柴山沼へ車で行ってきました。
ここも以前釣りをしていた場所です。
行く途中に2台、沼で1台パトカーに会いました。
そのうちの行く途中であった1台と沼であった1台は少し小さめの同じ型の車両でした。
場所も近いので恐らく同じ車両でしょう。
周りに田んぼしか無いような場所でこんなにパトカーに会うなんて偶然ではありません。
ブログでは書いていない時もパトカーにはしょっちゅうあっています。
以前1回に5、6台会ったこともあります。
僕はたまーにしか出かけないのに出かけるたびに偶然遭遇するなんてあり得ないです。

現場で警戒してパトロールしている制服警官は上の人間に騙されつづけているのか、おかしいと思っていていても逆らえないのか。

最近家の周りの車での監視が減っていたのでそのことを書こうと思っていたのに。
いつまでこんなことをやり続けるのでしょうか。

それならこちらも警察のでっち上げについて書きます。
これは他の人や身内に迷惑がかかるかもと思い今まで書きませんでした。

まずは北朝鮮の資金源についてです。

北朝鮮の資金源がパチンコ屋だとされています。
そして大物工作員の辛 光洙(しん がんす)が日本で働いていたのが北関東のパチンコ屋だとテレビでちょこっとですが伝えていました。

僕の家族が勤めているのが北関東のパチンコ屋です。

この資金源の情報が流れてかなり経ちますが、全く続報が入りません。

なぜパチンコ屋だとわかっているのに実態解明されないのでしょうか。
一体その情報源は誰なのでしょうか。

そして次に曽我ひとみさんを拉致した実行犯の女工作員の似顔絵についてです。

曽我さんを拉致して北朝鮮での世話役とされていた女の似顔絵が去年公表されて国際指名手配されました。
これにはかなりおかしいところがります。

曽我さんが帰国したのが2002年10月で、曽我さんの拉致犯の似顔絵が書かれて公表されたのが2006年11月です。
実に4年も経ってから似顔絵が公表されたのです。
普通事件の犯人の似顔絵は被害者が忘れないようになるべく早く作成されるものなのではないでしょうか。
しかもこんなに重大事件の似顔絵ならなおさらのはずです。
それが数年も経過してから出てきた。
完全にこの時点でおかしいです。

実はこの似顔絵は僕の家族にそっくりなのです。
顔、髪型、身長、年齢どれをとっても家族の特徴と一緒です。
まるでうちの母親の写真を見ながら書いたような似顔絵です。

こんな偶然があるわけがありません。
これも僕に関する証拠が何も出ない焦りから、今度は僕の家族に疑いをかけて家族もろとも疑いをかけて自分たちの保身をはかったのです。
恐らく警察はなんらかのうまいことを言って曽我さんを騙し、あの似顔絵に無理やり納得させたのでしょう。

こういうことからもわかるようにここ数年の僕に疑いがかかる情報源の全てが確実に警察です。

自分たちで事件を造り上げ、それにまつわる情報も全て自分たちで造り上げて僕に疑いをかけているのです。

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