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2008年6月

2008年6月28日 (土)

もう一つの冤罪

韓国のA氏の冤罪は、僕が北朝鮮のスパイという日本の公安警察のでっち上げから

うまれたものです。

そしてこのブログでは、公安警察は僕をテロリストとしても疑いをかけていると書いていますが、実はテロリストのほうでも、僕に関係があると思われる冤罪が存在します。

その事件はこういうものです。

アルカイダのメンバーとされるリオネル・デュモンという人間が、02年から03年の間に日本に何度か入国していて、その時に新潟市内のパキスタン人男性名義の
マンションなどに住んでいたそうです。そして新潟東港を拠点に、パキスタン人業者とロシアや北朝鮮向けに中古車などを輸出していたそうです。
その時に、あるバングラデッショ人(B氏)と連絡を取り合っていたり、デュモンのものと思われる口座から、B氏の口座に入金があったとされ、B氏はアルカイダの協力者として04年5月26日に逮捕されたというものです。
しかしその後B氏は数十日間拘留された後に、アルカイダとの関与は無かったとさ
れ疑いが晴れました。そしてこの報道によって、会社の取引を次々と断られ、生活をめちゃくちゃにされたとして、自分をテロリストと報道したマスコミに対して損害賠償請求を行って、次々と勝訴しています。そして今も自分の名誉の回復を訴え続けています。

この冤罪がどうして僕に関係があるのかというと、


まずこのブログでは以前から書いているように僕が働いていたX社の事故と、僕がやたらと周りを警戒していることや、自衛隊が911テロ以降に自衛隊機による脅迫行為を始めたことなどから、警察や自衛隊が僕を北朝鮮のスパイ以外にもアルカイダなどのテロリストとしても疑いをかているということを書いています。


そしてそこへ来てアルカイダの協力者として逮捕されたB氏が、僕と同じ同じ埼玉県在住であること。(それに僕はB氏の逮捕前年の03年に気晴らしのためにB氏が住んでいる戸田市にある戸田公園に行っています)


それとB氏の仕事の事務所が、A氏のスパイ事件の時と同様に僕が通っていた歯科医院と同じ新宿にあること。


そしてもう一つ、B氏と連絡をとっていたデュモン容疑者がパキスタン人と関係していたということです。
なぜパキスタン人が関係していると僕に関係が出てくるのか。
このブログで以前から書いている、00年10月に起きた「熊谷美容師殺人事件」で関係してくるのです。
この事件で殺害された美容師の元夫がパキスタン人です。アルカイダのテロ組織にはパキスタン人による組織も存在すると言われています。それにこれも同じ埼玉県で起きた事件です。
この事件では殺害時に被害者の手帳を持ち去ったとされています。
さらに04年頃になって、未解決事件を扱っていた番組「テレビのチカラ」で、この殺人事件の殺害現場の近くで、僕も所有している黒いスポーツカーが目撃されたという証言が出た。
さらにそれが06年頃の放送では、今度はなぜか警察が「黒いスポーツカーではなく白いセダンと見間違えたのではないか」と、目撃者とされる人の証言を全く別の車種に変えさせてしまうという明らかに不自然なことが起きています。

どうでしょうか。
これらの事件の関係場所や時期などの条件や、A氏の冤罪事件を考えればこのB氏の冤罪も僕と関係しているとは考えられないでしょうか。

それにB氏が逮捕さたのが、A氏の無罪が言い渡されたのと同じ04年5月です。A氏の無罪判決が5月の何日かなのかは調べても見当たらないのでわかりませんが、もしA氏の無罪判決がB氏逮捕の26日より前だとすると、A氏が無罪になったことで僕に北朝鮮のスパイとして疑いをかけることに失敗したので、今度はアルカイダのテロリストの方で疑いをかけるため、B氏を逮捕したということも考えられます。

そしてこのテロリストでも失敗したので、今度はその年の年末から05年の初めにかけて、北朝鮮の工作員の伝令役の人間の名前を僕の知り合いと同姓同名だったという情報を流した。とは考えられないでしょうか。

これらは公安警察が、僕に疑いをかけるために事件のストーリーを無理やり造ろうとした過程で、話をこじつけられそうな人間を探した結果、A氏とB氏の2人が目を付けられて、A氏は北朝鮮のスパイ、B氏はアルカイダの協力者とされたために生まれた冤罪だとは考えられないでしょうか。

2008年6月25日 (水)

スーパーナンペイ強盗殺人事件

1995年7月30日の午後9時過ぎに八王子市のスーパーナンペイ大和田店の事務所で女性3人が拳銃で殺害される事件が起きました。強盗目的と見られています。

その事件で現場の足跡から溶接作業時などに飛散する鉄粉が発見されたと22日に警察が発表しました。
犯人は溶接作業に従事していたか、鉄工所に出入りしていた可能性があるそうです。
また被害者をしばったテープはニチバン社製で、東京、埼玉、千葉、神奈川、山梨のコンビニエンスストアなどで販売されていたそうです。

僕が19日に鉄工関係の会社に95年の7月から働き始め、半年後には会社の事務所での空き巣で疑われたことをこのブログで書いた。

僕がこのようなブログを書いたわずか3日後に警察は13年間見つからなかったこのような事件でこのような証拠が出たと公表した。

13年も経ってからこのような証拠が新たに出るなんて事があり得るのでしょうか。
しかもビニールテープは僕が住んでいる埼玉県でも売られていたとなっている。

完全に嘘でしょ。

なんでもいいから僕に重大な未解決事件で疑いをかけようとしているのでしょう。

2008年6月24日 (火)

色々なことがわかってきました

前回の時系列表の中の「関連記事」を直リンしておきました。それと関連記事自体もいくつか追加しておきました。それと時系列表の07年3月22日に、「ブログ投稿の数時間後に渡辺秀子さんの事件が特定失踪者調査委員からマスコミに公表される」と書きましたがこのブログは4月から書き始めているじゃないかと思われたでしょうが、実はこのブログ以外にも全く同じ内容のブログを7つ書いています。そのうちの5つは07年3月22日から書き始めましたが、このココログともう一つは後から足したブログなので4月から書き始めています。

韓国のA氏が北朝鮮のスパイとして逮捕されたという事実を知ったことと、時系列表を作ったことで、話の筋がよりわかりやすくなりました。

時系列表の05年の始めに「工作員の伝令役が僕の知り合いと同姓同名だった報道や、北朝鮮は日本の工場にスパイを送り込んで情報を盗んでいるという報道がある」と書きましたが、
なぜ僕が監視に気づいてから5年近くも経ってからこのような情報が流されたのか。
それは僕と同時進行で北朝鮮のスパイとしてでっち上げられた韓国のA氏に04年5月に無罪判決が言い渡されたからです。
この無罪で日本の公安警察は、新宿という場所が北朝鮮のスパイの巣窟になっているという話を造り上げることに失敗したため、今度はその判決の数ヵ月後に、僕の知り合いと同姓同名の工作員がいたという話を新たに造って、マスコミに流させて、それを元に僕の監視や自衛隊による脅迫を続けたのです。そして自分たちの保身を謀ったのです。

それともう一つ時系列表の02年の7月に友人の結婚式に参加したことを書きましたが、そこに新郎新婦や出席者の職業を書きました。
なぜこのようなことをわざわざ書いたかというと、「拉致事件」で検索すると一番最初に出ているウィキペディアには、拉致が濃厚とされた人たちの職業で多いとされて載っているのが、「印刷工」「医師」「看護師」「機械技術者」です。(ウィキペディアの「事件の背景」の中段辺りに出ています)
この結婚式に参加した友人たちの職業と見事に重なります。この新郎や友人たちは僕と昔からの付き合いがあって、警察に監視されてからも、2、3回飲みに行っていますし、昔から一番多くあっているのがこの友人たちです。
この拉致濃厚者の職業の情報は「特定失踪者問題調査会」が調べたことになっていますが、実際には調査会にこの職業の情報を流したのは公安警察ではないでしょうか。
公安警察は、僕と一番古い、そして一番多く会っている友人の職業を、そのまま拉致被害者に当てはめたのではないでしょうか。

要するに拉致濃厚とされた人たちの職業が友人たちの職業と重なるのではなく、公安警察が僕と北朝鮮とを結びつけるために、わざと友人たちの職業と重なる人たちを拉致濃厚とするようにしたのではないでしょうか。

結局伝令役と同姓同名の人を含めると、あの結婚式に参加した多くの人間が北朝鮮と関係があるということになってしまいます。
なのに一度も警察は接触してきたことがない。

そんなふざけたことがあるか。

それと韓国のA氏についてですが、韓国の情報院は「スパイである証拠が出ないだけであって、実際にはA氏はスパイ」だというふざけたことを言ったそうですが、A氏が72回も韓日を往復していて、それをスパイとする理由にしているのに何一つ証拠がでないなんてことがあるわけがないだろ。
言い方をかえれば、72回も往復していて証拠が出ないからこそA氏がスパイなどあり得ないと考えるのが普通なんですよ。
結局日本の公安も韓国の情報院も、北朝鮮のスパイというものを勝手に想定して、それっぽいと思った人間を、なに一つ証拠が無くてもみんな北朝鮮のスパイにしてしまうということです。

それとこれもネットで何回か見かけましたが、北朝鮮のスパイは自分がスパイだとバレないように、証拠となる物は全て燃やしてしまうらしいですが、この情報は証拠が無くてもスパイとして疑いをかけられるように警察自身が造った情報だと思っています。それをネット上や色々な人たちに流しているのだと考えています。この情報は渡辺秀子さんの件でも、工作員とされた人間の目撃証言の中にも出ていました。

公安警察の情報は
嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘だらけ。
この「嘘」の数は決して大げさに書いているわけではありあません。調べていると、僕と様々な犯罪とを結びつけるような情報がまだまだ出てきています。

2008年6月19日 (木)

北朝鮮のスパイでっち上げに関する時系列表

僕が北朝鮮のスパイに仕立て上げられた経緯について時系列表でまとめてみました。これで少し話の内容がわかりやすくなると思います。今回は北朝鮮のスパイのでっち上げをわかりやすくするためにそれ以外のでっち上げに関しては今回は省いてあります。 (このブログの07年の8月以前の記事を読むには、左サイドバーの「バックナンバー」をクリックすると過去の記事が読めます。)

95年(平成7年)   

7月: 本業のかたわらで極わずかですがミサイル部品の試作品も扱う会社(X社)に入社
(関連記事 ここから06年1月26日までのおおまかな経緯については07年6月25日 「前回の記事の説明」の記事を参照してください)    

7月: X社で事故発生(1人死亡、負傷者複数)  

12月: 疲れやすい、気力が無いといった体調を改善のため新宿百人町にある特殊な治療を行う歯科医院(Z医院)に通い始める 
(関連記事 5月28日 「僕が通っていた病院について」 B事件=ミサイル情報漏えい事件)  

12月: Z医院での矯正治療に使うために信販会社でお金を借りたため、X社に本当に働いているかの確認の電話が信販会社からかかってくる。

96年(平成8年)   

1月: X社の事務所に空き巣が入る   

1月: 自分が空き巣で疑われる   

2月: いずらくなってX社を辞職

97年(平成9年)

98年(平成10年) 

12月: 警備員のアルバイトを始める  

99年(平成11年)  

10月: 桶川ストーカー事件発生 主犯格の男が逃走  その後アルバイトの現場にパトカーが頻繁に現れるようになる また帰宅の電車の中で警察らしき 男に気づく
(関連記事 07年4月5日「B事件でっち上げまでの経緯」 はじめから中段くらいまでの記事)

00年(平成12年)    

4月: 鬱病がひどくなってきたためアルバイトを休職する   

5月: 家族がひったくりに遭い刑事が家に来る   

6月: 警察の監視に気づく   

6月: アルバイトを辞める   

6月: 韓国国家情報院が韓国人のA氏に対する北朝鮮のスパイの疑いで日本での捜査を行う公安警察が捜査に協力     
(関連記事 08年6月10日「日本と韓国のでっち上げ」 オーマイニュース)  

11月21日: 百人町事件でスパイ2人を検挙         
(関連記事 08年5月29日「スパイ検挙はでっち上げ」

01年(平成13年)   

9月11日: ニューヨークテロ発生    
その後自衛隊による自衛隊機での脅迫行為が始まる
(関連記事 これは7年間の脅迫行為の極一部分の記録です。  アメーバビジョン

02年(平成14年)   

5月: 韓国でA氏が北朝鮮のスパイとして逮捕・起訴される      
(関連記事 08年6月10日「日本と韓国のでっち上げ」 オーマイニュース)   

7月: 友人(新郎が医者、新婦が看護師)の結婚式に参加      
 (この式に、後に工作員の伝令役とされる人間と同姓同名の知り合いや、群馬県の電気関係の工場、印刷工、電気設備関係で働く友人などが参加)  

12月: 鬱病治療のため大宮の病院に通い始める

03年(平成15年)

04年(平成16年)   

5月: 韓国でA氏に無罪判決が言い渡される      
(関連記事 08年6月10日「日本と韓国のでっち上げ」 オーマイニュース

05年(平成17年)  

工作員の伝令役が僕の知り合いと同姓同名だった報道や、北朝鮮は日本の工場にスパイを送り込んで情報を盗んでいるという報道がある(報道された正確な時期を忘れましたが、04年の暮れから、05年の初めの間であることは間違いありません)   
(関連記事 07年6月26日「伝令約の造られ方」

11月: 近所の住宅街で僕が一時停止違反で捕まった際に警察官に対して「警察が人権侵害しているぞー」「人権侵害で訴えてやるからな」と大騒ぎする        
(関連記事 07年5月14日「B事件の家宅捜索のきっかけ」 B事件=06年1月17日のミサイル情報漏えい事件と僕自身が疑いをかけられているミサイル情報漏えい事件)

06年(平成18年)    

1月 5日: 警察庁の漆間長官が会見を開き、今年は拉致事件に対して積極的に取り組むというような発言をして、その中で今まで拉致の認定をしていなかった人たちに対しても取り組むような発言もしていました   

1月17日: X社の関連会社の提携会社がミサイル情報(93年から95年の情報)が北朝鮮に流出したとして家宅捜索を受ける
(関連記事 07年6月23日「B事件=ミサイル情報漏洩事件」   

1月26日: Z医院が軽微な罪で家宅捜索を受ける   

5月25日: Z医院で治療を行っていた先生が逮捕される しかしスパイに関する証拠などは一切でず  

11月: 僕の家族の特徴とそっくりの工作員の似顔絵が公表される。
(関連記事 07年9月1日「あの似顔絵もでっち上げ」

11月27日: 不正に入手した薬品を万景峰号で北朝鮮に輸出しようとしていたとして在日朝鮮人の女性の自宅や世田谷区の太子堂にある総連施設などを家宅捜索。太子堂は僕が学生の頃によく出かけていた三軒茶屋のとなりです。それと02年7月の結婚式の新郎が医者新婦が看護師です。         
(関連記事 07年8月29日「最後の捜索」 B事件=06年1月17日のミサイル情報漏えい事件)  

11月29日: 川崎市にある派遣会社が無届けで群馬県の工場(この工場の近くに、結婚式に参加した友人が働いている工場があります)に労働者を派遣していたとして家宅捜索を受ける。社長が朝鮮籍の女性でその前の社長がその夫で在日本朝鮮人科学技術協会(科協)の顧問でミサイル技術に精通した人物。         
(関連記事 07年8月29日「最後の捜索」 B事件=06年1月17日のミサイル情報漏えい事件)

07年(平成19年)   

3月22日: このブログを書き始める
    ブログ投稿の数時間後に渡辺秀子さんの事件が特定失踪者調査委員からマスコミに公表される 
(このブログ以外にも全く同じ内容のブログを6つ書いています。そのうちの5つは07年3月22日から書き始めましたが、このココログともう一つは後から足したブログなので4月から書き始めています。) 

4月: 警察が渡辺さん事件での関係箇所を家宅捜索   

4月; 渡辺さん事件で大騒ぎの最中に、深夜の討論番組で北朝鮮関連の報道での問題点を扱う
(関連記事 07年5月16日「マスコミに関して」、17日「昨日の続き」 A事件=渡辺秀子さん殺害と家族の拉致事件  B事件=ミサイル情報漏えい事件)   

5月: マスコミが渡辺さん事件を全く取り上げなくなる      
(関連記事 07年6月28日「ある新聞社へ」 12月5日「マスコミ自身が認めました」)      

その後他の拉致事件や北朝鮮関連の報道量が激減する   
(関連記事 07年10月21日「最近このブログを読み始めた方へ」

2008年6月12日 (木)

有害サイト規正法

有害サイトの規制をする法律ができたそうですが、まさかこのブログが規制の対象にならないでしょうね。このブログが対象になったらそれは間違いなく青少年のめに造られた法律などでは無く、僕を犯罪者に仕立て上げてきた人間にとって都合の悪い情報を消すことが目的で造られた法律ということです。

2008年6月11日 (水)

企みサイトについて

Googleで「北朝鮮 スパイ」で検索すると一番初めに出ているあのサイトを「企みサイト」とすることにします。

企みサイトで、北朝鮮のスパイの特徴として、韓国の情報院の情報を載せる理由として、北朝鮮のスパイに対して日本よりも積極的な韓国での情報が僕の特徴と一致するとなれば、僕が北朝鮮のスパイだとする説により信憑性が増すからと書きましたが、他にもう一つ理由を見つけました。

それは北朝鮮のスパイの年齢です。

日本での北朝鮮のスパイ検挙に関して調べると、年齢が載っている件を見てみると、ほとんどが40歳~60歳代というのが一番多いいです。これだと僕の年齢と遭わなくなります。そこで韓国が把握している北朝鮮のスパイの特徴という形で、あの公安警察の企みサイトに北朝鮮のスパイの特徴を20歳から30歳代として載せているのです。

それと5月26、28日の記事に関して、さらに思い出したことがあります。
企みサイトの下のほうに、北朝鮮のスパイの特徴として「混んでいる街でもひと気の無い道を選んで通り、わざと袋小路に入ったりする」というような説明がありますが、僕も全く同じようなことがあったことを思い出しました。03年頃に鬱病の治療で大宮にある病院に通っていましたが、その時大宮の駅から病院まであるいはその帰りは、バスで行く場合と歩いていく場合がありました。歩きの時は運動不足解消のためや、バス賃を浮かせるためですが、その時大宮の駅から歩いていく場合、裏道を通るので必然的に人が少なくなります。それと帰りに道に迷って袋小路に入り込んだこともありました。
公安の企みサイトではこの事実を利用して北朝鮮のスパイの特徴として載せているのです。
また思い出したり、企みサイトに関して気づいたことがあったら書きます。

2008年6月10日 (火)

日本と韓国のでっち上げ

前々回の記事で、でっち上げの始まりが百人町事件と書きましたが、それより数ヶ月前に本当に根本となる事実があったことを発見しました。 00年6月に日本の公安警察が韓国の国家情報院による日本での北朝鮮スパイの捜査に協力していたというものです。

そしてこのサイトの発見で僕がどうやってスパイに仕立て上げられたかが全てがわかりました。

それがこちらのオーマイニュースさんの記事です。このページを読んでから下の記事を読んでください。

この記事によると情報院による日本での捜査が行われたのが00年6月です。僕が警察の監視に気づいた直後です。そしてこの記事では韓国でスパイとして逮捕された方(A氏)が日本で学生をしていた頃に受け取っていた奨学金は「朝鮮奨学会」からとなっていますが、この朝鮮奨学会のホームページを見たところ所在地がなんと「西新宿」と「大阪」です。このA氏は日本にいる時に通っていたのは関東の学校なので、関係があるのは「西新宿」のほうです。またA氏のスパイ活動の内容とされたのが、韓国と日本を72回も往復していた事実や友人に軍関係者が多いことを理由に「朝鮮奨学会に取り込まれ、軍事機密を韓国内に伝達する役目をしていた」というものです。 これで全てがわかりました。

僕のスパイ事件と、A氏のスパイ事件は日韓合同ででっち上げられた事件です。この日韓合作のでっち上げが全ての始まりです。現に僕は未だに警察が一度も接触してきたことはありませんし、A氏も無罪になっています。

オーマイニュースでは情報院側から日本での捜査依頼をし00年6月に捜査を行ったとなっていますが、それだと公安が僕を監視し始めた時期と丁度重なり、話が出来すぎです。(別にオーマイニュースを疑っているわけではなくこの情報の大元を疑っているので誤解しないでください)オーマイニュースでは情報院は94年からA氏を監視をしていたとなっていますが、そんなに前から捜査していて、日本での捜査が00年のぼくが日本の警察の監視に気づいた直後に行われるなんて偶然にしては出来すぎです。僕は韓国側から日本に捜査の要請をしたのではなく、日本側から、「今、日本でこういう怪しい奴がいるけど、これと結びつきそうな情報はないか」と韓国側に打診して、情報院が韓国にある色々な情報の中から新宿と言う場所に共通点があるA氏をピックアップして、日本での捜査が行われたと考えています。そして2人を新宿を舞台として活動しているスパイとして無理やりし立て上げた。そう考えたほうが自然です。

公安も情報院も色々な意味で同じようなことをやっている組織のようですですから、その同じような組織同士が結びつけばどういうことをするかは簡単にわかると思います。

そこで百人町事件に関して考え方を変えなければいけないことがあります。前々回の記事では僕のスパイ事件が百人町事件の一部のような感じで書きましたが、2つは別々の事件だけど同じ場所で起こった事件と考えたほうが自然になります。

こういうことです。 僕とA氏のスパイ事件の捜査の、あたかもあしがかりになった事件とするために、新宿を舞台にしたスパイ事件「百人町事件」をつくり、その犯人を00年11月に検挙をしたことにした。そしてこの事件をきっかけに、僕のほうは歯科医院をアジトにしたスパイ事件、A氏は朝鮮奨学会をアジトにしたスパイ事件が発覚したことにすれば、一つの場所で複数のスパイ事件が起きたことになり、あたかも新宿という場所は北朝鮮のスパイの巣窟のような場所だということにできます。そしてその場所に通っていた僕やA氏がスパイだという説に信憑性を持たせることができます。

それに別々の事件だと考えれば、00年に百人町事件でスパイの検挙が行われたのに、同じ百人町にある歯科医院の捜索が、僕が住宅街で大騒ぎした直後の06年まで行われなかったことがより自然になります。

以上でおわかりいただけたでしょうか。

5月28日の記事「公安警察の企みサイト発見」の下のほうに「僕の特徴をそのまま北朝鮮のスパイの特徴として、そしてその話に信憑性を持たせるためになんらかの方法で韓国国家情報院ホームページといわれるサイトに載せさせ、それを日本のサイトで紹介したものです。」と書きましたが、これでそのことを裏付けることができました。日本の公安警察と、韓国の国家情報院は裏で結びついています。その原因が僕とA氏のスパイ事件でっち上げということです。そしてその結びつきの延長で、あの僕の特徴をそのままスパイの特徴として情報院のホームページに載せることが出来たのです。

2008年6月 9日 (月)

前回記事の補足

前回の記事の最後のほうで、「そこでこの歯科医院をインチキの治療を行っているということに仕立て上げて、捜査を終わらせたのです。」と書きましたが、終わらせたのは歯科医院の捜査を終わらせたという意味です。
これ以降、この歯科医院が家宅捜索を受けたのと同じ年06年の11月に2箇所、僕に関係のありそうな捜索をしています。そのうちの一つはミサイルの情報がらみの捜索です。しかしいずれの捜索でもなんらかの工作活動が行われたという証拠はなにも出ていません。07年8月29日「最後の捜索」の記事で書いています。

次回は08年5月26日「公安警察の企みサイト発見」と28日「前回の記事の補足」の続きを書きます。

2008年6月 7日 (土)

でっち上げの始まりは百人町事件

警察は00年(平成12年)5月頃に僕の家族がひったくりにあい、僕の家に来てから、あるいはその前年の桶川ストーカー事件で僕を監視して以来、やけに周りを警戒している僕を怪しいと感じ、ミサイル部品を一部で扱っている会社で働いていて、そこで空き巣として疑われた事実と合わせて、どこかのスパイかもしれないと思い込んだ。しかしそれを裏付ける証拠が何もない。そこで監視を続けるための理由が必要になる。
そこで韓国料理や朝鮮系の店が多くある新宿百人町という場所にある歯科医院に僕が通っていたことを利用して新宿百人町事件というストーリーを警察自ら造って僕の監視理由としたのです。

詳しい内容はこういうことです。

まずは僕の実際の状況から説明します。
僕がミサイル部品の試作品を扱っていた会社で働いていたのが95年(平成7年)中旬から96年(平成8年)にかけてです。そしてその会社での事務所荒らしで疑われたのが8年の初旬です。また歯科医院に通い始めたのが平成7年末頃からで、平成11年まで通いました。
そしてその歯科医院で矯正という保険が利かない治療を受けるため100万近いお金を信販会社から借りました。僕の場合数ヶ月に一度しか通院していませんでしたが、通院時も保険が利かないため毎回2万円くらいの結構な金額の治療費を払っていました。

そして次に百人町事件の内容です。
この事件でスパイとされ検挙された康成輝は、時期に関してはわかりませんが日本でのスパイ獲得工作を行っていたそうです。それと97年(平成9年)頃から5年間にかけて、多額の資金を集める計画をしていて、計画の一部を実行していたとされています。

百人町事件のスパイによる資金集めの時期と、僕が高額な治療費を払っていた時期と重なります。
それとスパイの獲得工作の時期はわかりませんが、普通に考えてこれと大体同じくらいの時期でしょう。

これらのことから考えると、公安警察はこの百人町にある歯科医院がスパイの資金集めやスパイ獲得のアジトということにして、そしてそこに通院していた僕がスパイとして獲得され、ミサイル情報や資金を提供していたのではないかということにして、僕を監視をするための理由としたことがわかりあます。

これが百人町事件の事実です。

そしてこれが僕に疑いをかけるための警察による最初のでっち上げです。
このでっち上げから僕の地獄の生活が始まったのです。

しかし警察はそうやっていくら監視や捜索を続けても僕がスパイだという証拠がなにも出てこない。

そこにきて07年5月28日の記事で書いたように、05年(平成17年)11月に近所の住宅街で「警察が人権侵害しているぞー」「人権侵害で訴えてやるからな」と僕に大騒ぎされてしまった。
警察は自分たちが周りから疑われることを恐れ、仕方なく証拠など出ることなどないことをわかっていながら、万が一の可能性にかけて06年1月17日に、僕が働いていたミサイル部品を扱う会社の関連会社の提携企業をミサイル情報(93年から95年の情報)を北朝鮮に漏らしたとして家宅捜索し、次に同月26日に僕が通っていた歯科医院を別件の軽微な罪で家宅捜索をしたのです。

しかし当然証拠など出なかった。

そこでこの歯科医院をインチキの治療を行っているということに仕立て上げて、捜査を終わらせたのです。

しかしそれで終わったわけではなく、警察は自衛隊と合わせて自分たちが僕にしてきたことを正当化するためにその後も様々な工作を行って僕を要注意人物に仕立て上げ続けています。

2008年6月 5日 (木)

日付の訂正

日付に関して勘違いしていました。

僕が警備員になった年と、家族がひったくりあったり、僕が警察からの監視に気づいたり、警備員を辞めたりした年を1年ずつずれてとらえていました。

これにより以下の記事で訂正があります。
07年4月5日「B事件でっち上げまでの経緯」と6月25「前回の記事の説明」で自分が警備員のアルバイトを始めた年を、実際には1998年のところをを1999年と勘違いし、家族がひったくりにあい、僕が警察からの監視に気づいた年、および警備員を辞めた年を、実際には2000年のところを2001年と勘違いしていました。(当時の記事も訂正しておきました)申し訳ありませんでした。

このことで08年5月29日の「スパイ検挙はでっち上げ」の記事の中で
「僕が自分が警察から監視されていることに気づいたのが2001年、そのわずか半年前の2000年に、僕が通っていて家宅捜索が行われた病院がある百人町で北朝鮮のスパイが検挙されている。
これが偶然のわけがありあません。」
と書いていますが、実際には僕が警察の監視に気づいた同じ年の数ヶ月後に百人町事件でスパイの検挙が行われていたことになります。
98年から00年の年数が1年前にずれたことで、話がおかしくなると思うかもしれませんが、話の根本的な部分には全く変わりはありません。
スパイの検挙が僕が警察の監視に気づく前でも後でも、スパイに仕立て上げられている僕が百人町の歯科医院に通っていた事実と、スパイが百人町で活動していた事実から、僕と百人町事件が関係していることには変わりはありません。

大事な年数を間違えていたことで僕自身やブログの信憑性が疑われるかもしれませんが98年から00年までの間だけの勘違いであって、その前後にあった僕の周りで実際に起きたことや、マスコミが報道した事件や証言などの年数は全てあっています。

次回の記事では警察がこの百人町事件で僕をどのようにスパイに仕立て上げたかを書きます。

2008年6月 3日 (火)

今度は川越警察の大手柄?

今度は川越ですか。
今、同じ埼玉県の鴻巣市のパチンコ店で強盗をした犯人が川越の今泉という場所で拳銃を持って車の中に立てこもっているそうです。犯人2人いたうちの1人は逮捕したそうですが、1人はまだ立てこもっているそうでうす。
上尾警察の逮捕劇の次は川越警察ですか。
まあ多分実際に現場で対応しているのは埼玉県警の機動隊とかなんでしょうが、しかし犯人を発見したのは警戒中の川越警察署員です。

僕が上尾警察の逮捕劇は警察による自作自演と指摘した記事に出てくる川越で、記事を書いた翌日に今度は川越警察の大手柄ですか。

上尾警察が大手柄を挙げた石津淳容疑者拘束現場の直ぐ近くで、今度は川越警察の大手柄。
そして石津容疑者逮捕劇とこのパチンコ店強盗発見の場所は、僕が良く行く伊佐沼から、どちらもほぼ同じ距離にあります。

2008年6月 2日 (月)

石津淳容疑者逮捕劇は警察による自作自演 3

今日の朝刊で週刊誌の広告の見出しには石津淳容疑者の
記事が全く載っていませんでした。先日劇的な逮捕劇があったばかりの事件が、
その記事が載るはずの号の見出しに載らないなんてことは在り得ません。
普通は一番大きく載っていてもいいくらいの出来事です。

それに新聞のテレビ欄を見てもワイドショーの番組欄にはこの事件を
見出しで扱っているところは一つもありません。

警察は僕に疑いがかかる事件や証言のでっち上げと、
自分たちが信頼される情報、この2つで保身を謀っています。



それと気になることが先ほどありました。

14時半ごろ、家の北側を飛行船が暫く飛んでいて、その次に15時前辺りに
今度は家の西側を10分ほど飛び回った後にいなくなりました。
これは西側を飛んでいたときの映像です。


どちらもその下辺りに小学校か中学校があります。
飛行船は先月に一度遠くで音を聴いた程度で、
それ以外は今年の1月14日に姿を見て以来全く見ていません。
(1月18日の記事に映像があります)

丁度1年前の今日は、あの開閉橋の先の川越の伊佐沼の近くで起きた、
僕に疑いがかかりそうな「猫殺害事件」や、
その1週間前の5月26日にはその近くの小学校の窓ガラスが
割れれる事件が起きています。
(07年6月2日の2つの記事と、6月7日の記事を参照してください)
そしてその日に飛行船が下校時間に学校の近くに現れたことを合わせると、
もしかしたら逮捕劇の自作自演をばらされたので、その対策のために、
川越での事件で僕に疑いをかけていていることをアピールするために、
僕の家の周辺の学校に「今日はあの事件があった日なので注意をしてください」
みたいなパフォーマンスをしているのではないかと考えていました。

そう考えていたところ、飛行船がいなくなった直後に、防災無線で、
桶川での迷い人の連絡がありました。いなくなった日時は、昨日の午後2時で、
桶川駅の近くの地区の40歳の男性だそうです。格好は帽子、
Tシャツ、短パン、スニーカー、という明らかにジョギングをする格好です。

あの飛行船はこの方を探すために飛行していたのでしょうか。
しかし迷い人や迷子が出たときに飛行船で捜索すると言うのは見たことがありません。

一体何のための飛行だったのでしょうか。

なんにしろ現れた時間と場所を考えると学校に関係がある飛行だと思いますが。
それとも他になにか催し物でもあったのでしょうか。

2008年6月 1日 (日)

石津淳容疑者逮捕劇は警察による自作自演 2

やはりこのブログの5月10、12日の記事で書いた2005年8月に起きた
桶川市内の2つの小学校に脅迫状が送りつけられた事件で警察が僕に疑いをかけて、
地元の防犯パトロール、防犯協定を結んでいる企業や団体に
僕を監視させているのは間違いないですね。

だからあの脅迫事件はでっち上げという記事を書いたわずか半月後に、
僕に脅迫事件で疑いをかけて色々な人達を信用させて自分達の見方につけた
上尾警察自体が、あの記事に対する対抗策のために
大手柄を挙げるという自作自演を行ったのです。

このブログでの脅迫事件はでっち上げという話が広まる前に、
自分達が大手柄を挙げることによって自分達を信頼させてブログの
噂を信用させないようにするための自作自演です。

2月10日記事に載せた、僕が開閉橋でパトカーとすれ違った映像

この場所からわずか数百メートルの位置で犯人を拘束しています。
そして昨日の朝日新聞の地方版のこの事件の記事の中で、
犯人を拘束した巡査部長は
「特別なことをしたわけではなく、普段通りのパトロールで発見した。
市民に安心を与えられたのは喜ばしい。」
とコメントしています。
まさにこのブログで僕への監視を批判していることに対しての対抗策ではないですか。
このコメントをしたいがための警察による自作自演です。

夜中の1時過ぎに小雨が降る中でパトカーであんなになになにも
ないところを巡回していること自体おかしいし、しかもそこへ500キロはなれた
場所からマスコミが騒いでいる犯人が偶然現れるなんて。
これによって目撃者を造らずに済みます。
なにもかもにおいて警察にとって都合がいいこの逮捕劇は警察自身が演出したものです。

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